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アルハンブラの思い出…「Love Story」
豊川悦司さんの30代の頃のドラマにはまってしまっています。
「愛していると言ってくれ」のトヨエツにすっかり、うっとりした私は、彼の出ている作品を探し求め…
「Love story」で、「アルハンブラの思い出」のギター曲にもすっかり魅了されてしまった。
ちょうど豊川悦司さんがガンガン、TVドラマに出ていた頃は私は子育てで忙しく、TVを観ていない時代。こんなに素敵な俳優さんだったなんて、ちっとも知らなかった。
長身、細身、手指がきれい、切れ長の目がきれいで優しく、声が好きなことに気づいた。私は、世にいう「声フェチ」というやつなのではないだろうか。好きな声、というものがある。
「いつか また きっと会えると言えるうちに 別れたいほど 大切だった」
(佐藤 涼子)
石鹸箱の底に…
コロナでハンドソープが店頭から消えて、仕方なく、固形の石鹸を購入した。
石鹸箱があったことを思い出し、探し出してみると、箱の底に「美咲」の文字。
薄く消えかかったマジックの「美咲」の大きな文字。
(ああ、美咲…)と思った。
懐かしい人に会ったような気がした。
この名前は確かに、私の生んだ娘の名前。
苦労して生んで、愛しくて愛しくてたまらなかった私の娘の名前。
私ももし、認知症になったなら、美咲のことは記憶から消えて無くなってしまうのだろうか。今でも愛おしいのに。本人には伝わらない。
寧ろ、多分恨まれているよね。それが私にはどうしても理解できない。
幼少期から、話をしても目を合わせない子どもだった。
初めて(あれ?)と思った時のシチュエーションを、今もはっきり覚えている。
まだ、弟も生まれていない頃だから、2歳になる前であったろう。
外で洗濯物を干しながら、何かを美咲に言い聞かせた時に私から目をそらした。
目を見なかった。違和感だった。普通、母親の目を見ると思う。しかも、そんなに小さい時…
今思えば、少し今でいう発達障害的なことだったのかなと思った。
あの子の父親も人が話している時、目を見ないことがよくあった。返事を求めている場面で黙ってしまっていることが良くあった。
あの子は父親そっくりの気質だったような気がする。
尚且つ、美咲は私を逆恨み…これもその気質か。
子どもが成人してからの私は、いつも虚しさがある。
私の30歳位からの辛い日々は何だったんだろうといつも、虚しくなってしまう。
せめて、彼女の人生が苦労のない人生でありますように。幸せでありますように。
ここ2日位美咲のことが離れない日々だった。
もう、会うことはないのかもしれない。
私の人生にこんな結末が待っていたなんて…